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ABOUT US

井上だいすけ'77

// BASS・三線

 

 

美馬夕陽

// DRUMS

 

 

周藤三日月

// GUITAR

 

 

田中ジョン

// VOCAL

 

 

【2001年】

関西大学で出会ったメンバーで三日月ジョン結成。

時を同じくして田中ジョン交通事故で重体となり、いきなり長期離脱を余儀なくされる。(高知の悲劇)

 

【2002年】

 2月、田中ジョンが松葉杖を付きながらセンターに立ち難波ROCKETSにて初ライブ。この時の対バンがThe Alan Smithy BANDであり、高校の同級生だった周藤三日月とヨウジ氏が偶然の再会。のちにこの様子を見守っていたヒデ氏により「ムジナ」という名曲が書かれる。(難波再会事件)

 

12月、スタジオで新曲の練習中歌詞カードを見ているにも関わらずあまりに歌詞を間違う田中ジョンを不審に思い歌詞カードを確認すると、歌詞カードを忘れて来たことを怒られまいと別の曲の歌詞カードが置いてあったことが発覚。(門真歌詞カード偽装事件)

                 

【2003年】

2月、難波ROCKETSにて初ワンマンライブ 「三日月ジョンと行くレインボーツアー ~だからここに来た」。

 

5月、1st限定シングル「三日月ジョン」発売。

 

【2004年】    

3月、所属事務所に泊まり込みでレコーディングが始まる。この時外耳炎を患っていた周藤三日月が眠りながら耳を高速でかきまくる様に美馬夕陽が大爆笑する。(赤坂ウィークリーマンション事件)

 

6月、「赤坂ウィークリーマンション事件」の難局を乗り越え1stミニアルバム「みじめな僕でも恋は素晴らしい」で全国デビュー。

同月、東京での仕事を終え井上だいすけ'77が帰宅すると、家の電気が関西電力社の圧力により止められており、CDデビューの喜びよりも社会的制裁を受けたことのショックの方が上回る。しかし、我が家が機能停止状態のため夕食を食べに松屋に行くと店内でかかる有線放送で「みじめな僕でも恋は素晴らしい」が流れ、人生というものを深く考えさせられる。(関大前素晴らしき哉人生事件)

 

7月、大阪2nd Lineにて2度目のワンマンライブ 「みじめな僕でもワンマンライブ」。

同月、レコーディングで事務所の二段ベッドで寝泊りするも、上段の田中ジョンのいびきがうるさすぎて眠れない下段の井上だいすけ’77が激昂し、田中ジョンの寝顔に枕を長時間押し付ける。(田中ジョン殺人未遂事件)

 

8月、「君と僕との一万光年」のPV撮影で、丸1日一緒にいたにも関わらず共演のアイドルの子に誰一人として一言も口を聞いてもらえずギスギスした空気で撮影が行われる。(川崎プラネタリウムの苦笑)

 

10月、1stフルアルバム「三日月ジョン」発売。 FM802主催「MINAMI WHEEL2004」出演。この年最初の入場規制達成。PVショックから立ち直る。

 

12月、大阪2nd Lineで3度目のワンマンライブ 「君と僕とのワンマン公演」。

 

【2005年】

3月、ミルクティースとブギー・ザ・マッハ・モータースと共に主要都市3マンツアーを回る。この時の福岡公演で井上だいすけ’77が初めてライブに両親を招待するも、顔を上げるたびに完全に無の表情を浮かべる両親が視界に入り、ライブに集中できず錦を飾り損ねる。(福岡の無表情)

 

9月、神戸バリットにて4度目のワンマンライブ 「狂熱のワンマンライブ」。解散発表という重責を担った田中ジョンは精神的に追い込まれパニックに陥り、「解散します」という発言と同時に思わずピースをしてしまい、物議を醸し出す。(神戸不謹慎事件)

 

12月、超満員となった心斎橋BIG CATでのライブ 「グッバイ三日月ジョン」を最後に解散。

 

【2011年】      

6年の歳月を経て活動再開。

 

7月、心斎橋MUSIC CLUB JANUSにて「三日月ジョン再結成 ~だからここに来た」開催。2nd限定シングル「I shall return」発売。

 

【2012年】

4月、自ら売り込んだ営業が功を奏しFMaiaiで「周藤三日月のクローンチャンネル」放送開始。念願のラジオDJになる。

 

9月、FM802主催「MINAMI WHEEL2012」出演決定するも、田中ジョンが顔面に大怪我を負い自身二度目の重体。これにより「MINAMI WHEEL 2012」出演辞退と同時にライブ活動休止。(奈良の悲劇)

その反動でラジオ活動に精を出しFMaiaiで「三日月ジョンのタイフーンレディオ」放送開始。

 

【2013年】

2月、尼崎BLANTONにて2度目の活動再開。

 

7月、周藤三日月と井上だいすけ’77が昼の1時から夜の1時まで天満で飲み続け財布が空になる。(天満破産事件)

 

【2014年】

8月、結成以来初となるミカジョンファミリー全家族が集まりBBQ大会開催が決定するも、ワールドクラスの雨男・美馬夕陽が本領を発揮し台風直撃で企画は翌年に持ち越される。(雨男空気読めず事件)

 

12月、上新庄BAR犬にて90年代をテーマに「ライブハウス犬小屋 vol.1 柴犬」開催。第一部と第二部の間に設けられたハーフタイムで、周藤三日月が長年に渡り音楽と並行してストイックに追求し続けてきたお笑いをついに公式に初披露。パネル漫談を行う。

 

【2015年】

4月、ミルクティース15周年に参列するために久しぶりに本気を出して10年ぶりの東京ツアーへ。この時、同じ「ミカジョン」繋がりということでPEACH JOHNの野口美佳社長から花束を贈って頂き、感激のあまり今までの苦労が全て報われた気分になる。(代々木の歓喜)

 

5月、上新庄BAR犬にて1985年をテーマに「ライブハウス犬小屋 vol.2 紀州犬」開催。前回のハーフタイムでお笑いのポテンシャルの高さを見せつけた周藤三日月は、次なるステップとして田中ジョンを巻き込んで役者に挑戦。劇団ショウダウンの主催ナツメクニオ氏に頼み込み台本を書いてもらい、「北の国から」で自得した演技で悩める青年役を演じきる。

 

9月、昨年の「雨男空気読めず事件」で流れたミカジョンファミリー全家族集合BBQ大会がついに決行されるも、周藤家のみどうしても都合がつかなかったため残る3家族で強行される。(舞洲遠かったBBQ事件)

 

11月、「ライブハウス犬小屋vol.3 セントバーナード」開催。1975年をテーマに掲げ、全員結成当初の衣装、往年のヘアスタイルのヅラ着用でこれぞ三日月ジョンという勇姿を披露。前回に引き続き癒着を強めているナツメさんに頼んで周藤・田中が役者に挑戦し、劇団ショウダウンの看板女優林遊眠を引っ張り出す事に成功する。(林遊眠流れ弾よけきれず事件)

 

12月、結局のところ全家族揃えずじまいであったBBQ大会に並ぶ2大企画として「ミカジョンファミリー全家族集合大忘年会」が開催され、苦節14年にして初めて全家族が一同に会す。(南森町14年目の歓喜)

しかし同日、田中ジョンが嫁さんに相談すると反対されることを恐れ、無断で物欲にまかせて28万円相当のアコギを購入したことが発覚する。(心斎橋田中ジョン抑えきれなかったこの気持ち事件)

 

【2016年】

2月、井上家で三線弾きたい衝動が高まり、ある日突然夫婦そろって三線を購入する。(天六井上家抑えきれなかったこの気持ち事件)

 

3月、田中ジョンがアコギを購入したことにより、何故か購入した本人よりもアコースティック熱が急激に高まった周藤の発案でアコースティックイベント「犬小屋カントリーロードvol.1」が開催され、上新庄BAR犬にLEE LEE LEWISともりきこが招集される。

この時「天六井上家抑えきれなかったこの気持ち事件」で購入した三線を井上だいすけ'77が初披露。

5月、上新庄BAR犬にて映画をテーマに「ライブハウス犬小屋 vol.4 シェパード」開催。もはや定番と化した劇団ショウダウンとの演劇ユニット「劇団ショウダウン」で、周藤三日月が敬愛するマイケル・J・フォックス扮するマーティ・マクフライを演じる。

この時、いつも要求ばかり飲まされるナツメクニオが逆襲に転じ、毎度拒否権を発動していた井上だいすけ'77と美馬夕陽に本番中無理矢理アドリブでセリフを振る。(逆襲のナツメクニオ)

7月、日頃からお世話になっているBAR犬の10周年記念イベント「ナックルボール2016」に出演。

8月、前日からの悪天候で当日の朝になっても開催が危ぶまれていたミカジョンファミリー全家族集合BBQ大会であるが、「もう中止でええやん」というメンバーの空気をよそに、去年ただ一人参加できなかった周藤三日月が強硬に開催を主張。その想いが伝わったか昼から快晴へと転じ、周藤三日月念願のミカジョンファミリー全家族集合BBQ大会へ初参加を果たす。(舞洲の歓喜)

12月、結成15周年のアニバーサリーイヤーの締めくくりとして、沖縄をテーマにした「ライブハウス犬小屋vol.5 琉球犬」にて、12年ぶりのアルバム「サンダーボルト・ララバイ」を発売。アルバム制作の役割分担のウェイトがあまりに田中ジョンだけ少なく、そしてその僅かばかりの一番楽で最も簡単な仕事も満足に果たす事ができなかったため、緊急査問会議にかけられることになったが、執行猶予が認められからくも実刑判決を逃れる。(田中ジョン怠慢裁判)

【2017年】

4月、サラリーマンの宿命、いつの時代も組織の命令は絶対であり、オフィス三日月ジョンの春の人事異動により、美馬夕陽が東京支社赴任となる。ドラマーを失い失意の大阪本社残留組はこの状況を打破すべく、三日月ジョン準構成員ミルクティース直介にドラムを依頼し、三顧の礼をもって迎え入れる。(おそるべし人事異動事件)

5月、不惑を迎えた周藤三日月の生誕を祝うため、「ライブハウス犬小屋vol.6 周藤三日月生誕記念 ありがとう40周年」を開催。美馬を東京から1日だけ呼び戻し、直介と2人ドラマー体制でライブを行う。対バンには化楽がお祝いに駆けつけて頂き、そして普段はすることのない司会に一抹の不安を覚えた井上だいすけ'77は、やはり専門の方を呼ぼうということで総合司会にグラスニットジャガーの吉沢献吾を招集。豪華な布陣で盛大に周藤を祝福する。この時周藤は自らオープニングアクトを志願し、人生で初めてギターで弾いた「とんぼ」を披露する。(人生いろいろ、もう迷わない、周藤の不惑)

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